駄らだらと語る宝塚ファンのブログ
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 「宝塚雑談」 2008年 03月 06日 (木) 23:49
・・・昨夜よりちょびっと追加してみました。リクエストありがとうございます。
「虹のナターシャ」入れました。(3/7 22:30)

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日本史に沿って宝塚作品を繋ぐ試み。
の、はずでしたが。
・・・やっぱり近現代はキツいわ。
あんまり信用しないように・・・。

駄らだら日本史 
(1) 神代~戦国時代
(2) 江戸~昭和
   「続きを読む」からお入りください。
○ 大阪の陣

時は西暦1600年。
天下分け目の関が原
豊臣vs徳川の戦いの火蓋がきって落された。

西軍を率いるのは石田三成
『花吹雪 恋吹雪』の爽やか好青年・真飛聖くんだ。
対する東軍の大将は、言わずとしれた徳川家康
家康といえば『野風の笛』の汝鳥伶サン。
真飛聖 VS 汝鳥伶・・・といえば勝敗は火を見るより明らか。
東軍が勝って江戸幕府がひらかれる。

この関ヶ原の戦いにも参戦していた宮本武蔵。
『巌流』では汐美真帆サンが演じ、
安蘭けいサンの佐々木小次郎と仲良くタンゴを踊ってた、
あの巌流島の決闘は1612年ことである。

巌流島から3年後。
1615年。
大阪夏の陣が起こる。
『野風の笛』の時代だ。

秀吉の息子・豊臣秀頼
いかにもおひとよしそうな彩吹真央くんが
 「人間って、いいですね!」
とか言っていたけど、残念ながら徳川に攻められ炎にまかれ、
豊臣はついに滅びるのだ。

ちなみに秀頼の母が、茶々。またの名を淀殿。
彼女の若いころの話が『花吹雪 恋吹雪』の映美くららちゃんで、
30年ちかく経つと『野風の笛』の梨花ますみサンに変化する。
・・・歳月とはそういうものである。


○ 鎖国

『野風の笛』には2代将軍・徳川秀忠も登場した。夏美ようサンだ。
その息子が3代目・家光
家光の時代にだされたのが『鎖国令』だ。

  ・ 外国人の入国を禁じる(全部ではない)
  ・ 外国で5年以上くらした日本人の帰国を禁じる

そんな厳しい鎖国令のおかげで、
海外の赴任先から帰ってこれなくなった人々を描いたのが『アナジ』である。
轟悠サンが低~い声で
 「鎖国令ががががが!」
と呻いておられました。
ところが実際には『鎖国令』というのは後世につけられた俗称で、
そんな名前の法律は存在しなかったりする。

『望郷は海を越えて』の九鬼海人(和央ようかさん)がロシアから頑張って帰ってきたのも江戸時代。
鎖国令の厳しい掟を考えれば、そりゃあ恋人が
 「涙がぢゃまをしてお顔が見えませぬ」
くらい言うわけだ。
ちなみに海人の兄の九鬼隆邑。
彼の子孫・九鬼隆義に白洲次郎のおじいさんが仕えてたりします。

そして鎖国といっても完全に閉ざしたわけじゃなく、
横浜や長崎に窓口を設け、中国やポルトガルとはちゃんと貿易を続けていた。
長崎の中国人居住区(唐人屋敷)でのお話が『長崎しぐれ坂』と。

鎖国とは関係ありませんが、『忠臣蔵』の赤穂浪士が吉良さんを襲ったのは元禄15年12月14日。
1703年のことでございました。


○ 幕末    

さあ、来ましたよ。
ややこしい時代が。
1853年、ペリー率いる黒船が到来、ドカーンと大砲をうちならして
 「鎖国をやめろー!」
と脅しをかけてきた。
日本は牛歩が信条の国だから、
 「とりあえずゴメンナサイ!」
と言って一旦はお引取り頂いたものの、次の年にまた来やがったので、
仕方なく鎖国をあきらめて貿易をはじめることにした。
・・・なんちゃら条約とか結んで。
忘れたワ。

このとき大老の井伊直弼がかなり強引な仕事をしたもんで、
腹をたてたひとたちが彼を殺してしまった。
1860年、桜田門外の変だ。
 「もうねーダメだよ、こんな幕府」
 「どうする?」
 「朝廷と合体させれば強くなるよ!」
幕府と朝廷を合体させちゃおうという公武合体運動が起こり、
そのために1861年、皇女和宮が14代将軍徳川家茂と結婚させられる。
『武蔵野の露と消ゆとも』で白城あやかちゃんがやっていた悲劇。

それでだな。
幕末を扱った舞台はたくさんございます。
維新の志士だの新撰組だの、よく出てくる名前を並べておきますから、
お好きな配役をお選びください。
幕末ビュッフェです。
↓クリックして見てください。
幕末ビュッフェ

公武合体は思想のひとつですが、
これからの日本をどうするべきか、考え方がみんなバラバラだったため、
あちこちで殺し合いが頻発しました。

たとえば新撰組は幕府のために働いて、
「尊皇攘夷」とか言ってる人たちをやっつける。
1864年には池田屋で派手に大暴れしております。

そして、薩摩 VS 長州。
これもものすごく仲が悪い。
薩摩代表は西郷隆盛
『維新回転、竜馬伝!』では寿つかささんで、
 「長州人は足が臭い」
などと挑発していた。
負けてしまった長州には桂小五郎がいて、
北翔海莉くんは女装をして逃げていきましたね。
これが1864年の蛤御門の変

薩摩と長州のあいだに
 「まあまあ、皆で仲良くしましょうや」
と、出てきたのがご存知坂本竜馬である。
 「日本国内で争っていても意味がない」
と1866年にはは薩長同盟を結ばせた。

薩摩と長州とが手を組めばもう最強!
竜馬と中岡慎太郎は近江屋で鳥鍋をつついているところを暗殺されてしまうけれども、
1867年には大政奉還がおこなわれ、
翌年には勝海舟と西郷どんが話し合いをいたしまして、
江戸城無血開場とあいなります。
陽気な剣士沖田総司が結核で亡くなったのはこの年のことでした。

江戸幕府が消滅したあとも、諦めの悪い人たちがいて、
あちこちで暴れてる彼らを押さえた戦いが、戊辰戦争です。
土方歳三は五稜郭で戦死しています。

・・・どうでもいいけど「西郷どん」て書こうとするたびに「最後うどん」と変換されて困る。


○ 明治

廃藩置県が行われ。
江戸が東京と名を変えて。
明治時代がやってきました。
『恋と霧笛と銀時計』の冒頭で
 「ザンギリ頭はNO YES
  文明開化でごーざーい♪」
てな歌がありましたが、どなたか覚えてる人いらっしゃいますか?

文明開化でウェルカム明治。
まずは富国強兵ですな。
地租改正とか徴兵令とかでだんだん国を強くしていく。
経済では1873年には岩崎弥太郎が三菱商会を設立、
『猛(たけ)き黄金の国』では三菱ダンサーズがつなぎにヘルメットを被った姿で踊りまくります。

そうして強くなった日本がいい気になって戦った戦争が2つ。
日清・日露戦争です。
『黎明の風』のウルトラ女中・きくさんも従軍していたとか。
「オッペケペー」の川上音二郎もアメリカでゴミ箱をあさり腐ったレタスやパンを食べていましたが、
1900年前後に大ブレイク。
公演名は『夜明けの序曲』で合ってる?


○ 世界大戦

大正時代に入るとこんどは第一次世界大戦に突入。
1914年の開戦と同じ年にはじまったのが宝塚少女歌劇団です。
うるわしの思ひ出『モン・パリ』が1927年、
『ザッツ・レビュー』で春風泰平くんが走り回っていたのは1930年くらいのこと。

第一次大戦は5年くらいで終わりますが、
それでもぜんぜん平和じゃなくて。
またも近づく戦争の足音。
泰平君がレビュー作りを夢みているあいだにも、1931年、満州事変が起こりました。
日本は中国侵略をはじめたのです。

関東軍は「満州国」をつくり、愛新覚羅溥儀を皇帝にすえます。
『紫禁城の落日』では日向薫さんが
  「アーイ、アーム、エンペラー!」
と元気よく歌っておられましたが、どうみても傀儡政権。
1938年には、溥儀の弟・溥傑と日本の公家の娘・浩との政略結婚なんかもありまして、
ここでも白城あやかさんが嫁がされております。

その溥儀の護衛をつとめていたのが、『愛しき人よ』の遠藤和実。
霧矢大夢さんがカーキ色の軍服姿でお仕事してましたね。
スゴかったのが川島芳子
男装の麗人・川島芳子。
紫城るいちゃんでしたが、女どうしのラブシーンまでやっちゃう悪夢のようなキャラでした。
ヒステリックな彼女の願いは「満州国」を強大にすることでしたっけ…。

1932年には、満州国を認めなかった首相・犬養毅が暗殺される五・一五事件が起こり、
どんどん軍事政権へと傾いていく。
『虹のナターシャ』の高嶺ふぶきさんの三条薫がナタ公を探しに上海へいったのもその年のこと。
日本では思想の取り締まりが厳しくなり、特高が芸術家を取り締まる場面がありました。
和央ようかさんあたりが逮捕されていた模様。

そして、日本はついに世界を敵にまわした戦争をはじめてしまう。
第二次世界大戦
 「戦争は勝っても負けても損するだけだ」
と白洲次郎も言うており。
少女時代の『黒蜥蜴』が空襲に遭って
 「お兄ちゃん!」
と叫び。
1945年に敗戦。
大和悠河くんのマッカーサーがサングラスをかけてやってくる。

敗戦によって満州国の野望もついえます。
「♪大いなる~日よ沈め~」で沈んじゃった皇帝・溥儀はソ連へ、
川島芳子は中国へと連行される。
遠藤和実は東京裁判で釈放されて、城咲あいちゃんのジョセフィーヌのもとでお幸せ。

その後は『黎明の風』のとおり吉田茂をはじめたくさんの人が頑張って、
サンフランシスコ平和条約が結ばれ、
 「日本は独立を果たしたのだ!」
と叫んだのが1951年のお話。
とはいえ、沖縄が返還されるのはそれからずっと後、1972年のことでした。
ついでに『国境のない地図』のピアニスト、ヘルマン麻路さき氏が日本で演奏会を開いていたのは
1988年頃のことだと思われます。 
 
カテゴリ: 宝塚雑談
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